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2024/04/16 (Tue) |

日本ガラパゴス化現象

日本人はその地理的要因と元来持っている閉鎖性、保守性のために、世界でもまれな特有の性質を持つ。

特に近年顕著に表れていることは、2つ挙げられると思う。
一つは非常に情緒的短絡的悲観的ということ。

二つ目は次回取り上げる。

目の前に起こったことが全体の中でどういう位置づけにあるかを考慮することなく、過度に恐れる。

「木を見て森を見ない」の例えにならって説明する。

「この木は花粉をまき散らすとんでもない木だ」という話になると、
「すぐにその木を切ってしまえ」となる。
しかし、まわりの木はすべて花粉をまき散らす。もっとたくさんまき散らす木もある。
もっと手間がかからずに切れる木もある。
そもそも、木があることによる様々な効用を考えなくてはならないし、切ったことによる
デメリットも考えなくてはならない。
それでも「まずはできることから」と主張する。


原油は過去3か月あまりで暴落し、円ベースでいえばピーク時の1/3になった。
高騰しているときは、「生活が大変になる」とおびえ、一気につつましい生活になる。

しかし今は暴落して安くなったのだから、本来多いに喜ぶべきことではないか。
原油の高騰が「悪いことずくめ」なら下落は「良いことずくめ」なはずだ。
ところが、その事実を無視し、株の下落や円高などの負の側面ばかりを追う。

最近の急激な円高では企業業績の悪化ばかりが伝えられるが、日本が外国より相対的に認められている、輸入品が安くなる、円資産の価値が上がるなどのメリットを考えない。


こんにゃくゼリーはのどに詰まらせて死亡するケースが多いということで、製造中止に追い込まれた。
しかし、のどに詰まらせて死亡事故が起こった原因は、他の食べ物によるものが圧倒的に多い。

東京都の調査では「ご飯・すし」「パン」「もち」の順で死亡事故が多く、これらはこんにゃくゼリーよりはるかに事故が多い。

のどに詰まらせる事故が起こる食品が禁止なら、食べるものは流動食しかなくなる。


最近、多くの中国産食品から検出されているメラミン。
サイゼリアはメラミンが混入していたとされるピザを食べた人への返金を実施した。
混入していた量は体重50kgの人が1日70枚のピザを毎日食べても害がない値だ。
メラミンだけではなく、あらゆる農薬や抗生物質などの異物が検出されると、恐怖を感じ、廃棄処分にする。

しかし、分析精度の飛躍的向上によって、有害物質を一切含まない食品など存在しないほどになっている。自然の植物でも同様だ。

有害物質が含まれるかどうかの基準で食べようとすると、食べるものがなくなる。

悲観的な話が好きで世の中の様々な危険といわれる情報を集め信用する。
危険情報マニアも多い。


未来の恐怖を語る人に「警告してくれてありがたい」という感謝の気持ちを持つ。
食品添加物、農薬、遺伝子組換え作物、水道水、ダイオキシン、環境ホルモン、電磁波、BSE、地球寒冷化、鳥インフルエンザ、などなど結局何も起こっていないか、起こっても予想よりはるかに小さな被害のものばかり。

しかし「何も起こらなかったではないか」と文句を言うひとはほとんどいない。

唯一大きな批判を浴びたのは、ノストラダムスの大予言の五島氏。
五島氏は著作物で巨万の富を得る一方で、人々は「予言」に怯え、自分だけ生き延びようと数百万円もする核シェルターを買ったり、オウム真理教のような怪しい宗教にのめり込む者が急増した。

日本ほど恐怖に踊った国は珍しい。

このときは、1999年7月と特定したため、はずれたことが明白になったことから批判が巻き起こった。
しかし、これは特殊ケース。

ほとんど批判がない理由は次々と未来の恐怖を語る
「狼少年」が大好きということ。

予言がはずれたことがわかっても
「20~30年後に起こるかもしれない」と信じ続ける。

事実「科学的に安全性が証明されていないから危険!」
といった論法で煽る本はよく売れる。
ベストセラーになると30~50万部にもなる。

科学的にリスクを分析している良本も実は数多く出版されているが、
そのほとんどが初版だけで終わっている。

僕の「食品の迷信」は初版の6千部すら売れていない・・・・・。


販売数に100倍の差が出る理由は何か。

情緒的短絡的悲観論が好きで、客観論、楽観論に興味はないのだ。
僕のような変異種の情報は、ガラパゴスニッポン島の固有種には受け入れられないのだろう。

同質の周りの人たちと不安を共有する話題が欲しいのだ。
科学的知見や当該機関の正式見解より、科学のシロウトの情報を信用する。

食品は過去50年間で飛躍的に安全になった。
にもかかわらず、
「食品の安全がおびやかされ」
「何を食べていいのかわからない」状態でいる。

中国産がいくら安全でもたまたままれに起こる事件だけを見て、「危険」と思いこみ、
「いくら安くても買わない」と決意する。

際限のない安心ゲームの中で、過大な廃棄リスク、風評被害リスクばかりの食品産業は産業として成り立ちにくくなった。


医療事故も以前より大幅に少なくなり、出産時などでも死亡するケースは少なくなった。
そのためいつのまにか100%安全なものと思いこみ、失敗すると医者の責任にする。

挙句の果ては、医者は告訴され、逮捕、医師免許はく奪。

命を預かる医者のなり手がなくなり減っていくのは自然の流れだ。


日本人は先進国では突出して自殺率の高い国だ。
自殺の原因は「病気」「経済苦」の順だが、根本的にあるのは考え方が悲観的ということがあるだろう。

現在の食品を「安全なものがない」と思うということは、生きることすべてが危険なことだらけで、心配で夜も眠れないのではないだろうか。

情緒的短絡的に相手を非難し、責任をとらせることがどういう結果を生むのか、
悲観的な心の営みが幸福に通じるのか、考えてみるべきではないだろうか。


 

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2008/11/03 (Mon) | Trackback() | Comment(0) | 食品の迷信
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