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前回は、日本人の特性として近年顕著に表れている特徴の一つ目として、情緒的短絡的悲観的という点を挙げた。
二つ目は、「従順で騙されやすい+新形質」ということ。
「新形質」は後で説明するとして、「従順で騙されやすい」ということはどういうことか。
その根本にあるのは、封建的全体主義。
政府機関のトップも政府の見解と違う発言をすると責任を問われ、辞任に追いやられる。
事実上「クビ」の理由が、内容の是非ではなく、「政府と異なる見解だから」といったことは全体主義の表れ。
とても民主主義とは思えない。
また、一人の責任も所属先全員と責任とされるとも特殊だ。
高校野球が典型例だと思うが、一人の犯罪も連帯責任となる。
日本代表のスポーツチームには必ずと言っていいほど○○ジャパンと○○に監督の名前を配する。
組織を軍隊のように縦型構造と捉え、“隊長”が全権を掌握し、”部下“は隊長の指示に従う駒のような存在であることが良いとされる。
だから部下に必要なのは能力よりも、和。
和を大切にするということは言いかえると従順であること。
だから、権威に弱く流されやすい。
そして騙されやすい。
マスコミ情報を鵜呑みにすることはその一例だ。
「テレビでやっていた」「新聞に出ていた」という枕詞をつければ、「本当なはずだ」ということを言っているようなもの。
食品の安全報道では、間違い、偏向・偏狭だらけ。例えば「中国食品は危険で国産食品は安全」といった前提の報道はすべて間違いといっていいが、ほとんど疑問に思われることはない。
国の流す情報や施策に従って、住宅を買ったり、国債を買ったりする。
国連至上主義も日本が顕著だ。
騙されやすいという最近の例では、「振り込めサギ」
もうここ数年問題化し、多くのメディアで注意を呼び掛けているにも関わらず、騙される人が減るどころか増えている。
今年の被害額は過去最高ペースだ。
先日は、警察の全国規模の警戒が行われ、ATMに警察官が配置され、一人一人の客に「大丈夫ですか」「騙されてませんか」と声をかけていた。
お年寄りだけではなく、かくいう僕も声をかけられてしまった。
しかし、警戒期間に被害にあった人のなんと1/3は、声をかけられていたにも関わらず、その注意を振り切って振り込んだ人ということ。
これではもはや救いようがない。
国の取り締まりは、大人に対するものとは思えない異常なものだが、実際に大人に必要な「自己責任」を求めることができないほどの異常な防衛意識の低さがある。
さて、全体主義的でお人好しで騙されやすいということは、ある意味昔からの日本人の性質であると思う。
しかし、近年「新形質」といえる顕著な新しい特徴を備えるようになった。
それは「消費者」としての新たな特権意識が強くなったことによって、サービス提供者に対して、極めて我がままになったこと。
モンスター化したといっても良い。
この強い傾向は、ケンカを知らない者のケンカの方が怖いのと同じで、元来自己主張していなかった者が自己主張し始めたため、その程度や限度がわからないのだろう。
食品でいえば
「安全を100%保証しろ」
「賞味期限が過ぎたものやちょっとでも怪しいものは捨てる」
「色や形がきれいで揃っていなくては買わない」
「でも無添加、無農薬であるべき、ただし価格は通常品並み」
日本の消費者がこのようになったそもそもの原因は、マスコミとサービス提供者にあると思う。
マスコミは常に“ウケ”のいい、「消費者の味方」「弱者の味方」を標ぼうし、事態を冷静に判断することなく、「疑わしきは消費者の利益に」とする。
結果として何でもかんでも「消費者が正しい」としてきた。
サービス提供者も「お金のためならなんでもする」といった卑屈なサービス合戦となり、消費者のどんな我がままも通すようになった。
世界でもまれなサービスの良さがアダとなってきた。
いまや、日本では「消費者」は強者であり、弱者ではないことが多い。
むしろサービス提供者が弱者で苦しめられるケースが後を絶たない。
この行き過ぎた我がままが、最終的にはコストに跳ね返ったり、サービスの低下につながることが既に現実化してきた。
企業は、我がままな客からも決して苦情が来ることがないよう、最新の注意を払い、厳しい基準を設けることになる。
それが、通常に利用する人の利便性を下げ、コスト高を生むことになる。
前回分と話をまとめると、次に挙げる特徴を持った人は、ガラパゴスニッポン島の固有種だ。
本ブログの趣旨から批判的側面だけを表現した。
情緒的短絡的悲観的。そして全体主義的で騙されやすい。
さらに立場が「消費者」になると、自分の責任を省みず急に我がままになる。
一度、自分を客観的に省みてはどうだろう。